Novela picaresca 西班牙
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Music Pad 古典音樂史上的今天
〈伯爵若要跳舞〉的旋律輕快怡人,但是顛覆性驚人,說它是個帶著絲絨手套的鋼鐵手臂也不為過。
這首歌曲以三拍子寫成,速度中庸,不疾不徐,乃是一首小步舞曲。這是十八世紀流行於歐洲各地宮廷的舞曲,非常受歡迎。這一點從原本三樂章的交響曲擴充為四樂章的時候,作曲家常常選擇放入一首小步舞曲就可見一般。費加洛的主人是貴族,莫札特用小步舞曲來寫這首短歌(Cavatina),是喔很恰當的選擇。「如果伯爵要跳舞的話」,當下人的當然就要去張羅:
伯爵若要跳舞,
我會彈奏吉他,
你若上我的舞蹈學校,
我樂於教你如何跳躍。
伯爵跳舞作樂,好不快意,但是費加洛唱來,卻有一絲優越,甚至威脅的意味。沒有費加洛在旁伴奏,這舞跳得起來嗎?沒有費加洛指點舞步,這舞跳得漂亮嗎?
表面上看來,伯爵做主,但費加洛才是背後真正的操盤手。伯爵要是沒弄清楚這一點,讓費加洛不高興,到頭來灰頭土臉的會是伯爵。論才智,論手腕,伯爵都不是費加洛的對手,但是伯爵占了階級的優勢。在一個階級森嚴的社會,一個人生對了家庭,就算他是一個假開明,實則色慾薰心的傢伙,也照樣能吃香喝辣,享盡好處!
即使莫札特的《費加洛婚禮》做了許多刪節改變,以符合當時維也納宮廷的審查標準,但是對貴族社會的不屑、不滿,從費加洛的第一首歌曲,就已經表露無遺。莫札特雖然用了小步舞曲來寫這首歌曲,但也並未受限於小步舞曲的設計。小步舞曲的中段稱為trio,顧名思義,是個三件樂器演奏的段落。即使作曲家安排了不只三件樂器,往往也有個意思,讓一個在音響上比較稀薄的段落,來與前一段的旋律有所對比。
但是莫札特在這個段落不但沒有往纖細的方向寫,反而越唱越激昂。這是為了符合費加洛的心緒變化而做的安排。費加洛在憤怒之餘,決定槓上伯爵,從一個微小而大膽的心念,慢慢成形為清楚的念頭,進而發展成更加完整的計劃,巧妙運用手法,這裡戳一下,那裡攪和一下,慢慢讓伯爵無法得逞。
費加洛想到這裡,不禁越來越得意,還得壓抑心頭的興奮,音樂也越見熱鬧。費加洛腦筋一轉,計謀已經成竹在胸,好整以暇地再回到原先的旋律,見山又是山。莫札特用這樣一首簡單的歌曲,刻劃出費加洛的機巧陰狠。
伯爵雖然是這齣歌劇裡的大惡人,但改變不了費加洛也非善類的事實。伯爵能在陰溝裡撐船多年而不翻船,費加洛乃是從犯。甚至,因為有了費加洛,伯爵的胃口和膽子才越養越大,所以費加洛的遭遇,多少也有點咎由自取,沒那麼值得同情。
費加洛凡事從私利著眼,苟利於己,什麼事都做得出來。他沒有甚麼道德感,是非界線模糊。但他也幹不了什麼大壞事,成不了亂世梟雄,至於為了眾生為利的革命,他大概也不會熱血投入--除非他能從革命中撈到好處。費加洛這個角色,似乎很符合17、18世紀流行於歐洲的「惡漢小說」(Novela picaresca)的典型,就連費加洛的名字figaro,讀起來也很像picaro呢!
https://en.wikipedia.org/wiki/Picaresque_novel
The picaresque novel (Spanish: picaresca, from pícaro, for "rogue" or "rascal")
In order to understand the historical context that led to the development of these paradigmatic picaresque novels in Spain during the 16th and 17th centuries, it is essential to take into consideration the circumstances surrounding the lives of
conversos, whose ancestors had been Jewish, and whose New Christian faith was subjected to close scrutiny and mistrust.
[20]
The Enormous Room is E. E. Cummings' 1922 autobiographical novel about his imprisonment in France during World War I on unfounded charges of "espionage", and it includes many picaresque depictions of his adventures as "an American in a French prison". Jaroslav Hašek's The Good Soldier Švejk (1923) is an example of the picaresque technique from Central Europe.
ピカレスク小説(ピカレスクしょうせつ、
英:
Picaresque novel,
西:
Novela picaresca)は、
16世紀 -
17世紀の
スペインを中心に流行した
小説の形式。
悪漢小説や
悪漢譚、
悪者小説とも呼ばれる。
特徴として
- 一人称の自伝体
- エピソードの並列・羅列
- 下層出身者で社会寄生的存在の主人公
- 社会批判的、諷刺的性格
を持ち、写実主義的傾向を持った小説を指す。
ただし、実際にはここまで厳格ではなく、いずれかの要素を持った作品が現代ではピカレスク小説と呼ばれる事が多い。
文学的コンテクストと一般的な特徴[編集]
15世紀にはスペインでも
騎士道小説が広く普及し、
16世紀には愛読書の1つになった。その騎士道小説や牧人小説といった理想主義的、楽園主義的文学が興隆する一方で、スペインの繁栄、
トリエント公会議とは無関係な庶民の経済や宗教の退廃、
血の純潔の偏重、下級貴族や物乞いの増加を直視した小説が登場する。
特徴としては、直截的で口語的な語りと皮肉の口調の文体の中にもユーモアを加えるところ、
高貴な血筋の生まれではない主人公が、冒険という非日常ではなく現実という日常を舞台に生きるための闘いを繰り広げ、繁栄の中で当時多くの社会的矛盾を内包するスペインを批判的なまなざしで記している事、などが挙げられる。
作者不詳の『
ラサリーリョ・デ・トルメスとその幸運と逆境の生涯』
[注釈 1](現存最古のものは
1554年)は、後述する『ピカロ:グスマン・デ・アルファラーチェの生涯』からさかのぼって、ピカレスク小説のはじまりとされる
[要出典]。主人公ラサリーリョは盲者や司祭、郷士など様々な主人に次々と仕えていく。彼らの偏屈な行動をピカロの独特な視点からメランコリックで皮肉的に、しかし同情的に親しみを込めて物語る。そこにはある種の親しみやすさがあり、好景気にわく16世紀的楽観さがまだある。
ピカレスクの語源は
マテオ・アレマンの『ピカロ:グスマン・デ・アルファラーチェの生涯』
[注釈 2]の「ピカロ」から。悪者と訳されるが、単なる悪い人ではなく、この小説の主人公グスマンのように、
- 出生に含みのある表現がある(ユダヤ系や娼婦の子であることを暗喩しているものが多い)
- 社会的には嫌われ者である(が、カトリック的には慈悲を施すべき対象)
- 食べる(生きる)ために罪を犯したり、いたずらをしたりする
というような特徴を持った者のことをピカロという。
『グスマン』では犯罪を繰り返す非道徳的な話をしながらそれを中断し、道徳的な訓話を挿入するというバロック的な対比をみせている。そして批判的な叙述はよりユーモアに溢れる一方で、より
悲観主義の傾向を強めてゆく(詳しくは
マテオ・アレマンを参照)。
その後のピカレスク小説[編集]
『従士マルコス・デ・オブレゴン』(
1618年)や『びっこの小悪魔』(
1641年)のような写実的でありながら抒情的で詩的な小説が出てきた。それ以降では、風俗写実文に過ぎない小説が多く出版される。そんな中でケベードの『ドン・パブロスの生涯 (Historia del Buscón don Pablos)』(
1626年)では、言葉遊びに富み、カリカチュアで装飾過多になり、さらに諷刺、揶揄、悲観主義の要素が色濃くなった。
しかし前述したグスマンのバロック手法は、
ティルソ・デ・モリーナの『セビーリャの色事師と石の招客 (El Burlador de Sevilla y Convidado de piedra)』(1630年、
モリーナ作ではないとする説あり[要出典]。ドン・ファンが非道徳的行動をすることで道徳的規範を示す方法)に受け継がれている。
日本のピカレスク小説...
- ^ La Vida de Lazarillo de Tormes y de sus fortunas y adversidades、普通『ラサリーリョ・デ・トルメス』と略す。
- ^ Vida del Picaro Guzmán de Alfarache、普通は『グスマン・デ・アルファラーチェ』と略す。
- ^ この『正義』はあくまで社会的、実定法的な正義とは一致しない。
- ^ このパターンの最典型はアニメ版の『ルパン三世』である。この作品では主人公一味が窃盗行為を華麗に実行しようとして、その結果として、時に一国や地球的な規模の巨悪までをも粉砕する展開が、ストーリー定型の一つになっている。
関連文献[編集]
- フランシスコ デ・ケベード 『ピカレスク小説名作選』 牛島信明、竹村文彦訳、国書刊行会《スペイン中世・黄金世紀文学選集》、1997年
- 鹿島茂 『悪党が行く ―ピカレスク文学を読む』 角川学芸出版《角川選書》、2007年