2008年10月31日 星期五

Journey to the Taimu Mountain by Lee Chiao

中文與英譯的版本似乎稍有些出入。

最後我用拙作『泰姆山』中,主角魂歸台灣大地的感觸來代您向你所愛的同胞致意:肩窩的血泉水般洶湧而出。那燙熱的流淌,他知道那景象。他還知道那熱熱鮮血,如何成串灑落草地上,然後迅速沒入泥土,融入大地。

他把相思樹種子灑在身子周圍。

當雨水來的時候,有些種子會發芽。

當天地來臨的時候,這裡是一片相思樹苗了。

當我的呼吸停止,就是我回到大地的時候;我的軀體與大地合為一體,我將隨著春天的樹苗,重返台灣。」(李喬撰『同年』,安息吧!(1999/10/16),載於《一個新台灣人的死與生廖中山教授紀念集》,2000,頁74。)

…He sat up. His armpit to his chest was covered with fresh blood….

Then with his left hand he grabbed the gray burlap bag of acacia seeds, and, untying it with his teeth, scattered the seeds one handful after another all around, and two handful by the corpse. A dozen of them landed on his face and chest.

When the rain comes, some seeds will sprout.

When spring comes, there will be a grove of acacia here.

When my breathing stops, I’ll return to the Earth. My body and the Earth will become one, and I’ll return to the human realm again with the spring saplings….

Journey to the Taimu Mountain by Lee Chiao, translated by Bert Scruggs, in Taiwan Literature English Translation Series, Number 23, July, 2008, p.107

(《台灣文學 英譯叢刊 23號》,2008年七月,頁67-108

2008年10月28日 星期二

李国庆译 《法律与文学》

理查德·波斯纳 (Richard A. Posner)法律与文学》(Law and Literature) Richard A. Posner:李国庆译。2002年。中国政法大学出版社

《法律与文学》(Law and Literature)的翻譯有一定的困難
原因之一是討論的文本範圍頗廣 -- 對於法律學生更是如此

舉些簡易例子
譬如說尼采的超人 (p.114) 在下頁的注又成為原古波斯的創教者 當然同名 不過應只是借用

對於 Gibbon和他 的史學名著 (p.25) 英國古史詩 或莎士比亞劇 (內文都採朱生豪本 書名應一貫)

p.41頁 跑出 frolic 這種法律用法 不宜翻譯為"狂歡"....


2008年10月25日 星期六

The Arcades Projects 的 the Dioscuri 等必須簡注

{城市文化讀本}翻譯 Walter Benjamin The Arcades Projects(我採用哈佛大學出版社的英文本,p.884)之選文縮編。

現在我們不談它的翻譯,只是要指出:將希臘神話中的一系列人名變成漢字,就是翻譯嗎?【英文翻譯本對the Dioscuri.有古今所指之簡注

…And when that sky opened to the eyes of this young insight, there in the foreground were standing not the divinities of Olynpus—not Zeus, Hephaestus, Hermes, or Hera, Artemis, and Athena—But the Dioscuri.

2008年10月22日 星期三

「擦り合わせ」「磨合」Integral

劉兄
拜讀大作最大的驚訝就是key words
integrated vs 磨合
是同一的
這似乎很難說服讀者
不知當初為什麼要中英文分道揚鑣

--
鍾 漢清
Hanching Chung (or HC/ hc)

*****
漢清兄
您的意見直指核心。我與Dr Brookfield討論過,當時未找到好的英文。
從我們討論的組織間互動內涵觀之
1.日文的「擦り合わせ」最貼切
2.台語的「搓(喬)乎好勢」也恰當
3.「磨合」接近
4. integrated 是勉強使用
歡迎提共卓見。
仁傑

*****
劉兄
我去年將FUJIMOTO等人的書都已打包存檔 沒想到現在又碰到
這「擦り合わせ」的英文討論已"定案 如下 我認為這也是勉強之說法
不過你論文的出發點與日本的比較起來稍有不同處
他們從產品出發 你從組織溝通出發
所以是否真要採用日本說法 或用詞 我存疑
現在回過頭 重新出發的話
依你論文定義 ({共創}頁26)
這是 INTENSIVELY INTERACTIVE
在哲學或知識論
這叫
He worked in terms of a dynamic model of learning, or dialectical
progression (see Hegel) in which perceptual inputs are modified by
existing structures of knowledge ('assimilation') and these in turn
are modified to 'accommodate' the inputs (see also reflective
equilibrium).
供你茶餘參考


"フラット化する世界において、
世界市場に進出している日本企業が拠り所とすべき点は、藤本隆宏氏が提唱しているところの「擦り合わせ」とその周辺であろうことは、多くの方がお気づきだろうと思います。
この関連の議論はご存知のように少し発展していて、内部におけるインテグラル/モジュラー、外部におけるインテグラル/モジュラーをそれぞれ組み合わせた4つの戦略パターンに分化し、個々の企業が身を置く業種と状況に応じて適した戦略は異なるとされています。
「擦り合わせ」に対応した英語も「Integral」ということも定まっています。

それには異存はないとして…。この議論を米国の人などに説明する際に、「擦り合わせ型のアーキテクチャが重要なんである」という意味でごく普通に「Integral
Architecture is the key...」などと言っても、あましピンとこなかったりして、大変です。
「擦り合わせ」という概念は非常に言語依存的な概念であって、たぶんほんとうにわかるのは日本人の間同士だけなのではないかということをちらと思ったりします。どうでしょうか?"

仮にそうだとすると、製品の製造における「擦り合わせ」ができるのは日本人だけということになり、「擦り合わせ」(という言葉を駆使して、それを操作的に行えること)が日本の競争力の源泉のすべてとは言わないまでも、源泉の一部を担っている、ぐらいは言えるのではないでしょうか?なんちて、多少安易。

2008年10月14日 星期二

master

現在大陸媒體一碰到 master ,多翻譯成大師

連「壽司師傅」也這樣稱呼。

今天碰到”AEC Routemaster(中文意釋AEC路主)是在英國倫敦行駛的雙層巴士,由AEC車廠生產,於195628日正式服役。

北京的國際線上報道:有“馬路大師”之稱的紅色雙層巴士是英國倫敦的標誌之一。