現代語訳

 今出川の大臣が嵯峨へ出かけた時に、有栖川あたりの泥濘んだ場所で運転手の賽王丸が牛を追ったので、牛が蹴り上げる水が車のフロントバンパーに飛び散った。後部座席に乗っていた、大臣の舎弟、為則が「おのれ、こんなところで牛を追う馬鹿がいるか」と罵ったので、大臣はにわかに機嫌が悪くなり「お前が車の運転をしたところで賽王丸に及ぶまい。お前が本当の馬鹿者だ」と言い放ち、車に為則の頭を打ち付けた。噂の賽王丸とは、内大臣、藤原信清の家来で、元は皇室のお抱え運転手だった。

 信清内大臣に仕える女中は、今となっては何のことだか分からないが、一人は膝幸、一人はこと槌、一人は抱腹、一人は乙牛と、牛にちなんだ名前が付いていた。

原文

 今出川いまでがは大殿おほいどの嵯峨さがへおはしけるに、有栖川ありすがはのわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸さいわうまる、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板まへいたまでさゝとかゝりけるを、為則ためのり御車みくるまのしりに候ひけるが、「希有けうわらはかな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿おほいどの御気色みけしきしくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有けうの男なり」とて、御車にかしらを打ち当てられにけり。この高名かうみやうの賽王丸は、太秦殿うづまさどのの男、れうの御牛飼うしかひぞかし。

 この太秦殿にはべりける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

注釈

 今出川いまでがは大殿おほいどの

  太政大臣、西園寺公相さいおんじきんすけ

 嵯峨さが

  京都市右京区嵯峨の場所。

 有栖川ありすがは

  嵯峨にあった地名。

 賽王丸さいわうまる

  西園寺家の、公経きんつね実氏さねうじ公相きんすけの三代に仕えた牛飼い。

 あがきの水

  牛が地面を蹴って跳ねた水。

 為則ためのり

  伝未詳。公相の家来か。

 太秦殿うづまさどの

  藤原信清。内大臣。

 れうの御牛飼うしかひ

  後嵯峨院に仕えた御牛飼。


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機械翻譯

徒留草 第114章

現代譯本

今出川大臣出差佐賀時,他的司機西王丸趕著一頭牛穿過了有棲川附近的泥濘地帶。牛踢起的水花濺到了車的前保險桿。坐在後座的大臣弟弟為則大喊:「該死,是誰這麼蠢,竟然在這種地方趕牛?」大臣頓時勃然大怒,厲聲斥道:「就算你開車,也比不上西王丸。你才是真正的蠢貨!」說完,便將為則的頭撞向了車子。傳聞中的西王丸是內務大臣藤原信正的家臣,曾擔任皇室司機。


侍奉信政大臣的侍女們都以牛的名字命名,雖然現在已無法考證她們的名字:一個叫“霎雪”,一個叫“琴槌”,一個叫“羽霸”,還有一個叫“音牛”。


原文

今出川的今出川之主前往佐賀時,途經有水川,西王丸正趕著一頭牛。河水漫到了馬車前。站在馬車後的為則驚呼:「真是奇葩!竟敢在這種地方趕牛?」小殿大怒,回道:「你趕馬車的本事和西王丸差不了多少,你真是個奇葩。」說完,一頭撞在馬車上。這位大名鼎鼎的神谷之湯西王丸,是太秦殿的兒子,也是留地的牧牛人。


在太秦殿侍奉的侍女分別名為日佐幸、琴錘、羽原和大年。


註解

今出川大殿


大臣西園寺金介。


佐賀


京都市右京區佐賀縣一地。


有棲川


佐賀縣地名。


西和丸


侍奉西園寺家族三代:金經、三英、金介的牧牛人。


奮鬥之水


牛踢地濺起的水花。


為則


來源不明。可能是內務大臣的家臣。


太秦殿


藤原信政。內務大臣。


雷烏的牧牛人


侍奉後嵯峨天皇的牧牛人