夏目漱石《草枕》The Three-Cornered World : 茶文化講演会
2005.8.2
hc補充:夏目漱石(1867~1916)的作品《草枕》
在「康健月刊」中吳迎春談過夏目的吃之美學如:《草枕》
「烤魚中點綴了些許綠意,掀開碗蓋,幼蕨中沈浸著染成紅白色的蝦子,我盯著碗看,真是好看的顏色。
『你不喜歡嗎?』女侍問。 『不是,我會吃。』」
2005 Simon U 有過這樣的介紹:「夏目漱石(Natsume Soseki 1867~1916).先生的書最有意思,《草枕》(
姓 名 | 林皎碧 |
出 生 地 | 新北市新莊區 |
學 歷 | 1.私立淡江大學 東語系畢業 2.日本東北大學 文學碩士(專攻日本近代文學) |
著 作 | 《名畫紀行—回到1929的公會堂》(2019、7允晨文化) |
譯 作 | 1.宮本輝《避暑地的貓》(2007、5 遠流出版社)。 2.夢枕貘《鬼譚草紙》(2009、1 遠流出版社)。 3.永井荷風《荷風の東京散策記》(2013、4大牌文化事業有限公司)。 4.夏目漱石《心》(2014、5遠足文化事業有限公司)。 6.芥川龍之介《羅生門》(2015、12 大牌文化事業有限公司)。 7.夏目漱石《從今以後》(2017、3大牌文化事業有限公司)。 8.夏目漱石《三四郎》(2017、8東美文化事業有限公司)。 9.夏目漱石《行人》(2017、10大牌文化事業有限公司)。 10.三島由紀夫《作家論》(2019、10木馬出版社)。 |
「烤魚中點綴了些許綠意,掀開碗蓋,幼蕨中沈浸著染成紅白色的蝦子,我盯著碗看,真是好看的顏色。
『你不喜歡嗎?』女侍問。 『不是,我會吃。』」
Ching-chun Shih 施清真: 彙整出「紐約時報二十一世紀百大好書」有中譯者,很大的服務大家。
何穎怡是大譯家,她說退休了.....提議給她譯藝獎,她沒/或不方便接受。
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知堂老人“江戶文學中有滑稽本(江戶時代小說的一種,以游冶為題材,描寫煙花柳巷的狀貌習俗,內容以對話為主),也為我所喜歡,十返舍一九的《東海道中膝栗毛》、式亭三馬的《浮世澡堂》可為代表感人的紀念 友情之作:鮑耀明90歲譯《東海道徒步旅行記》(十返舍一九 Jippensha Ikku原作(1765-1831) 《東海道中膝栗毛Tōkaidōchū Hizakurige》,2011,本次直播重點:主人公的簡稱:彌次郎兵衛 (Yaji)和喜多八(Kita),合稱『彌次喜多』Yajikita(弥次喜多/やじきた)Donald Keene的對它的簡介,參見 World Within Walls一書 ;東山魁夷插畫等《古都》(川端康成原作) 《人來人往》
作者:(日本)十返舍一九 譯者:鮑耀明
十返舍一九(1765-1831),江戶時代作家,原名重田貞一,生于駿河國(今日本靜岡縣),在大阪居住七年時,用近松余七筆名作《諍琉璃》(日本傳統戲劇之一)劇本。《諍琉璃》與《能狂言》、《歌舞伎》,并稱日本三大國劇。寬政六年(1794)去江戶,創作《黃表紙》(情節滑稽,荒誕小說,書中每頁附插圖,因封面黃色而得名)多種,享和二年(1802)因創作滑稽本(江戶時代小說的一種)《東海道徒步旅行記》而一舉成名。
『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九の滑稽本である。「栗毛」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。
鮑耀明,1920年出生于廣東省中山縣,在日本念完中學,後畢業于慶應大學。曾任香港《工商日報》、新加坡《南洋商報》駐日特派員;日本三井洋行香港分行副總經理,香港理工學院(香港理工大學前身)教學咨詢委員。為香港、新加坡及臺灣等報刊翻譯日本長篇小說多種,包括:夏目漱石《我是貓》,谷崎潤一郎《吃蓼草的蟲子》,志賀直哉《和解》,武者小路實篤《真理先生》,川端康成《伊豆舞娘》,等等。

《東海道徒步旅行記》內容簡介:一六?三年,德川家康被日本朝廷任命為征夷大將軍,在江戶開設幕府,江戶取代大阪、京都成為文化中心,東海道為當時最主要的交通道路。《東海道徒步旅行記》中寫了江戶時代的兩個小人物彌次郎和喜多,自江戶日本橋出發,沿東海道,經橫濱、小田原、沼津、京都、大阪等地,往伊勢參拜大神宮,一路上發生很多故事,出盡洋相。故事還穿插江戶時代的狂歌川柳,介紹各地風俗、奇聞、方言、小笑話、風光景物等。《東海道徒步旅行記》出版後頻獲好評,一時間洛陽紙貴,仿作屢出。
| 十返舎一九 じっぺんしゃ いっく | |
|---|---|
國貞筆「戱作者六家撰」 | |
| 出生 | 重田貞一 |
Tōkaidōchū Hizakurige (東海道中膝栗毛), abbreviated as Hizakurige and known in translation as Shank's Mare, is a comic picaresque novel (kokkeibon) written by Jippensha Ikku (十返舎一九, 1765–1831) about the misadventures of two travelers on the Tōkaidō, the main road between Kyoto and Edo during the Edo period. The book was published in twelve parts between 1802 and 1822.
The two main characters, traveling from Edo to Kyoto on their pilgrimage to Ise Grand Shrine, are called Yajirobē (彌次郎兵衛) and Kitahachi (喜多八). The book, while written in a comical style, was written as a traveler's guide to the Tōkaidō Road. It details famous landmarks at each of the 53 post towns along the road, where the characters, often called Yaji and Kita, frequently find themselves in hilarious situations. They travel from station to station, predominantly interested in food, sake, and women. As Edo men, they view the world through an Edo lens, deeming themselves more cultured and savvy in comparison to the countrymen they meet.
Hizakurige is comic novel that also provides information and anecdotes regarding various regions along the Tōkaidō. Tourism was booming during the Edo Period, when this was written. This work is one of many guidebooks that proliferated, to whet the public's appetite for sight-seeing.
A second book was also written, called Zoku Hizakurige, which includes material on the Kiso Valley, Konpira, and Miyajima.
Some of the episodes from this novel have been illustrated by famous ukiyo-e artists, such as Hiroshige in his One Hundred Views of Edo.
As they make their way, they leave behind a trail of crude jokes and plentiful puns. They make fun of a daimyō procession, cheat shopkeepers out of money, and get cheated in turn. At one inn, they make fools of themselves because they do not know how to use the bathtub; they burn themselves on the bottom, rather than asking for help.
In Ueno, one of them pretends to be Ikku himself, before he is found to be an impostor. On that occasion, they burn themselves and debate how to eat the hot stones that they have been served by the innkeeper. They are soon revealed as fools: The stones are for drying out the konjac to improve the flavor, not for eating.
Comic events often ensue when Yaji or Kita try to sneak into bed with women, which happens at various inns along the road.
お蔭参り(おかげまいり)は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。お蔭詣で(おかげもうで)とも。数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった。お伊勢参りで抜け参りともいう。
お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これが、お蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんである。大金を持たなくても信心の旅ということで沿道の施しを受けることができた時期でもあった。
江戸からは片道15日間、大坂からでも5日間、名古屋からでも3日間、東北地方からも、九州からも参宮者は歩いて参拝した。陸奥国釜石(岩手県)からは100日かかったと言われる。
「お蔭参り」の語源は諸説あり、天照大御神の「おかげ」で参詣を果たすことができたためとする説、天照大御神の「おかげ」で平和な生活を送ることができることに感謝をするためのお参りであるからとする説、道中での施行(せぎょう)など様々な人の「おかげ」で参宮を果たすことができたためとする説などがある[1]。また、「お蔭参り」という呼称が用いられ始めたのは、「明和のお蔭参り」以降である[1]。
本作は、弥次喜多の旅行記の形式をとる。
江戸・神田八丁堀の住人、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)は、妻と死別したり、仕事上の失敗から勤務先を解雇されるなど、それぞれの人生で思うにまかせぬ不運が続き、つまらぬ身の上に飽き果て、厄落としにお伊勢参りの旅に出ることを決意した。身上を整理して財産をふろしき包み一つにまとめ、旅立った二人は、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる。続編では四国に行き、讃岐の金毘羅大権現・松尾寺を参詣し、中国地方に行き、宮島を見物し、そこから引き返して木曾街道を東に、善光寺を参詣し、草津温泉に行き、江戸に帰着する。二人は道中で、狂歌・洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働いては失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。
登場人物の紹介
弥次郎兵衛(左)喜多八(右)
(駿府城・2012年9月)
弥次郎兵衛(やじろべえ)
東海道の旅に出発当時数え歳50歳(満49歳)。屋号は「栃面屋」。肥えていて、作者によると「のらくら者」「ただのおやじ也」という。作中では下俗で軽薄な性格設定がされているが、一方で楽器を演奏し、古今の書籍に通暁し、狂歌や漢詩、また法律文書も自在に作成するなどきわめて教養の高い人物として描かれる。駿河国府中(現・静岡市)出身、実家は裕福な商家であったが遊蕩が過ぎて作った借金がもとで江戸に夜逃げし「借金は富士の山ほどある故に、そこで夜逃を駿河者かな」と身の上を詠んでいる。江戸では神田八丁堀の長屋で密陀絵などを製作して生活していた。
喜多八(または北八)「きたはち」
出発当時数えで30歳(満29歳)。弥次郎兵衛の居候。元々は弥次郎兵衛の馴染みの陰間であったが、弥次郎兵衛とともに江戸に駆け落ちしてくる。ある商家に使用人として奉公したが、使い込みをした上に、女主人に言い寄ろうとして嫌われ、解雇されて行き場を失い、弥次さんとともに旅立つ。
歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」
禦影舞裡是江戶時代伊勢神宮的團體參拜活動。 感謝大家。 這種情況在大約 60 年的時間裡(稱為「Okage 年」)發生了 3 次,影響了數百萬人。 在伊勢市時也被稱為“Nuke Mairi”。
禦影舞裡最顯著的特徵是,僕人未經主人允許而參拜神社,或兒童未經父母許可參拜神社。 這就是為什麼 okage mairi 也被稱為 nuke mairi。 那時候,即使人們在信仰之旅上沒有很多錢,也可以在路邊接受施捨。
來自東北地區和九州的遊客從江戶出發步行前往神社需要 15 天,從大阪出發步行 5 天,從名古屋出發步行 3 天。 據說需要100天才能到達陸奧國(岩手縣)釜石。
關於「okage mairi」這個詞的起源有多種說法。一種說法是多虧了天照大神才得以參拜神社,另一種說法是這是一種表達對能夠生存下去的感激之情的方式多虧了天照大神,才有了平靜的生活。有的說法是,這是因為參拜神社,也有的說法是,由於各種人的“感謝”,比如那些在神社沿線進行儀式的人。方式。[1 ] 此外,「Okage Mairi」一詞是在「Meiwa no Okage Mairi」之後開始使用的[1]。

